官幣大社 石清水八幡宮
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概 要
社号 石清水八幡宮
読み:いわしみず
旧称は男山八幡宮
通称:やわたのはちまんさん
所在地 京都府八幡市八幡高坊30
旧地名 山城国綴喜郡
御祭神 八幡三所大神(八幡大神)
中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと) =第15代応神天皇
西御前:比咩大神 (ひめおおかみ) =宗像三女神(多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ))
東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)=神功皇后
以上の3神を総称して「八幡三所大神(八幡大神)」という。
例祭日 9月15日(石清水祭)
社格等
式外社
中世社格制度 国史見在社、二十二社(上七社)
近代社格制度 旧官幣大社 、勅祭社
社格制度廃止後 別表神社
神仏霊場巡拝の道81番(京都1番)
創建 貞観2年(860年)
本殿様式 八幡造
境内摂末社(祭神)
境内社
武内社 他の摂末社は本宮周囲にあるが、武内社のみ本宮内にある
広田社・生田社・長田社
住吉社 社殿(国指定重要文化財)
一童社・貴船社・龍田社
若宮社 社殿(国指定重要文化財)
若宮殿社 社殿(国指定重要文化財)
気比社
水若宮社 社殿(国指定重要文化財)
高良神社・相槌神社・大扉稲荷社
石清水社 社殿(京都府指定文化財)
水分社・三女神社
飛地境内
狩尾社(とがのおしゃ) 社殿(国指定重要文化財)
文化財
重要文化財(国指定)
建造物
石清水八幡宮 16棟
・本殿及び外殿・附 摂社武内社本殿、瑞籬・幣殿及び舞殿・楼門
東門・西門・廻廊(楼門東門間)・廻廊(楼門西門間)・廻廊(背面)
摂社若宮社本殿・摂社若宮殿社本殿・摂社水若宮社本殿・摂社住吉社本殿
東総門・西総門・北総門
摂社狩尾社本殿 – 本社西方の飛地境内に建つ。
石清水八幡宮五輪塔 1基
美術工芸品
石燈籠 – 鎌倉時代
木造童形神坐像 4躯
石清水八幡宮護国寺略記
類聚国史 巻第一、第五
石清水八幡宮田中宗清願文 2巻
石清水八幡宮文書 810巻、368冊、21帖、897通、10鋪、5幅、11顆 – 平安時代から江戸時代までの間、作成・継承
焼失した文化財
昭和22年(1947年)2月12日、社務所の火災により、以下6件の旧国宝(現行法の重要文化財に相当)が焼失。
絹本著色八幡宮縁起 2巻 永享五年奥書
絹本著色僧形八幡像 松花堂昭乗筆 附:漆塗箱
木造男神坐像
木造女神坐像
太刀 銘助守作
法華経 8巻 常子内親王筆
史跡(国指定)
石清水八幡宮境内
松花堂及びその跡
京都府指定文化財
石清水社 社殿
一口メモ
あまりも有名な神社で、ぜひ参拝できる日を楽しみにしていた。今は車で神社まで行けて大きな駐車場がたくさんあるが、京阪電車でケーブルカーで行くのが味があるのだが。
歴史・由緒等
三重の伊勢神宮・京都の賀茂神社(上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社))(または奈良の春日大社)とともに日本三社の一社。大分の宇佐神宮・福岡の筥崎宮(または鎌倉の鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社。
〝やわたのはちまんさん〟の名で親しまれる石清水八幡宮
〝やわたのはちまんさん〟の名で親しまれる石清水八幡宮
〝やわたのはちまんさん〟と親しまれる当宮が御鎮座する八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地であります。また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもありました。男山は都からみて裏鬼門(西南の方角)に位置し、鬼門(東北の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきました。
この経済上、政治上、そして信仰上の要の地に御鎮座され、日本を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇敬され、八幡大神様を祀る神社は全国津々浦々に数万社あるともいわれています。当宮の御祭神は御本殿中央に応神天皇様、西に比咩大神様、東に神功皇后様をお祀りしています。この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神(八幡大神)様と申し上げます。
由緒
平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。
天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷よりご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、 天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、実に240余度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。
明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。
-『神社公式サイト』より-
境内・社叢
境内案内板
三の鳥居 一ツ石
参道 境内両脇御神燈
手水舎 南総門(御神門)
拝殿
左手 神楽殿
廻廊
本殿左 広田社・生田社・長田社 校倉 京都府指定文化財
本殿奥 住吉社 社殿(国指定重要文化財) 一童社
貴船社・龍田社 若宮社 社殿(国指定重要文化財)
気比社 水若宮社 社殿(国指定重要文化財) 若宮殿社 社殿(国指定重要文化財)
北総門 回廊外境内社 三女神社
その他
立派な御神燈がたくさんある
ものすごい数の石灯籠が並んでいる
書院内 石燈籠 – 鎌倉時代
エジソン記念碑
三ノ鳥居から本殿へと続く、馬場先と呼ばれる石敷の参道の三ノ鳥居付近中央にその箇所のみ自然石が露出している部分があります。この石は通称「一ッ石」「勝負石」「お百度石」などと呼ばれ、「一ッ石」「勝負石」は「五ッ石」(かつて、南総門下にあった)に対する呼称で、この石が走馬・競馬の出発点になっていたこと(終点が「五ッ石」)に由来するといわれています。「お百度石」はこの石が百度参り・千度参りの起点になっていたこと(蒙古襲来の折には人々が一ッ石と本殿を往復し「道俗千度参」を奉修した)に由来するといわれています。
江戸時代には、本殿参拝を終えた参詣者が一ッ石の前で再び本殿に向かい拝礼するという習わしがあったということも伝えられています。
電球のフィラメントに石清水八幡宮の竹を使用したことで知られている
地名・地誌
地 図
交通アクセス
下院まで
最寄駅:京阪電鉄京阪本線 八幡市駅 (徒歩約5分)
駐車場:あり(有料)
山上(上院)まで
境内は男山の上にあるため、麓からの参拝にはケーブルまたは徒歩で登る必要がある。
八幡市駅から
ケーブル:男山ケーブル 男山山上駅下車 (徒歩約5分)
徒歩:表参道(約20分)または裏参道(約15分)ほか
男山山上に至るルートはこの他にも複数ある。
駐車場:あり(無料)
初詣期や例大祭などの混雑日以外は、自動車で山上の本殿のすぐ下まで行ける。
周辺情報
ホームページ
『神社公式サイト』http://www.iwashimizu.or.jp/
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